行住座臥

関東から新潟へIターンした20代女のブログ

ミスターコンテスト出場者の件が入試関連であやしい

https://www.sankei.com/smp/affairs/news/181023/afr1810230056-s1.html


 先日、慶應義塾大でミスターコンテストへ出場した学生の女性への暴力が報道されましたが、東京大学のミスターコンテスト出場者も同じく暴行に関与したと見られているそうです。


 さて、当ブログと全く関連のない件を取り上げたのは何故でしょうか。学祭シーズンが近いためでしょうか。

今回一つの疑惑を持って記事にしたのですが、タイミングがタイミングのような気がしたためです。


https://r.nikkei.com/article/DGXMZO36843020T21C18A0CC1000

 東京医科大学を発端に、入学試験の採点で女性受験者ないし浪人受験者の試験で減点がなされていた件。

次々と女性は減点していた大学が連なっています。


 ずばりこの入試問題が発覚している時期に該当の大学の学生のイメージを損ねかねないニュースなのですが

タイミングもタイミングでもしや慶應義塾大学東京大学でも入学試験の採点で得点操作が行われていたのではという疑惑を抱いてしまいました。


 誰しも平等に与えられるはずの機会の芽が摘まれていた件が、メディアの力で陽の目をみることができればと思いスマートフォンから投稿しました。


進撃の隣人ーシェアハウスから見る孤独死

https://twitter.com/itm_nlab/status/1032239228560670720

つい先日ツイッターのモーメントで話題になったこのエンディング産業展の1ブース。
お寺さん、墓石屋、葬儀屋、などに混じって産業展覧会なのに1件、現代芸術展とも言える展示があったので記事にしようと思います。

今回のエンディング産業展はいわば「終活フェア」
従来の葬式を執り行う寺、葬儀屋、仏壇屋、棺桶屋、墓石屋とその他の産業から高齢化社会で湧くエンディング産業に参入したい企業の産業博覧会でした。開催地は東京ビックサイト。

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スタイリッシュなミニマルデザインおりん

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新時代のお墓まいりサービス

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不動産高騰時代にコミットメントしたコンパクト仏壇

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就職...じゃなくて終活セミナー

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スマート納骨堂

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終活エージェント[パワーワード]

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散骨の時代はもうバルーン!gkbr
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お寺への親近感を養うため、VR参拝。はえー。

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これは良いなと思ったんですが

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故人との手紙のやりとりを見てくれるお寺さんもありました。住職さんと立ち話しました。

とここまでは全て生前に終活する金銭と時間の余裕のある故人のサービスです。もしくは近親者が亡くなったときの周囲の人が利用できる企業のマッチング。

1つだけ「死」により深く踏み込んだ清掃サービス業者さんもありました。おそらく不動産オーナーなり行政対象なのでしょうか。

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全くエンディング産業事業者でない私。これが見たくて足を運びました。

ブースには孤独死現場の写真そしてそれと共にミニチュアで遺体があった部屋の再現がされていました。現場の状況のテロップも。

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壁一枚向こうで人間と動物が息を引き取っているのを見に行けず、とか。

 

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ロフト付きの物件で切り詰めた生活の果て。

 この数年新聞記事で独居の高齢者や生活に困窮した若年層の孤独死していた人の死に至った経緯の記事などを度々読みました。しかし実際に写真とミニチュアでみるとまた違う現実感がありました。天井一枚だけ上で人が死んでいる。それを知らずに生活する。
 「養鶏場の鶏でも、隣上下の鶏が死んでいたら気づくものでしょ」と意地をはることもできますが、2年ほどアパートで暮らしていた自分には「くる」ものがありました。
騒音やゴミ出しで鬱陶しく思うだけのアパートの住人がちゃんと生きてるのか?、私が死の淵にいてやがて自分の体から異臭を放ったとき、隣人は?

 平成世代は子供の頃から様々なメディアに触れてきていて特に言論を担ってきたのは間違いなくテレビなのですが、隣人トラブルや個人情報保護やストーカー被害の対策の重要性をワイドショーのネタとして伝えることは都市生活市民の心を掴みやすいものだということはわかります。しかし仕切られた箱の中で生産活動を続ける私たちの終末は?という問いをつきつけられたようでした。
 プライバシーによって首を絞められた人々の箱を見ていて、自分がまちづくりとしてやってきたことはこの超高齢化・都市化社会のカウンターだったのだと違う角度から見えてきました。そのかなりふわっとした抽象的な社会現象の恩恵のひとつで、シェアハウスという生活様式(ライフスタイル)は0mで他人の生活と介するもの、独居社会の究極のカウンターです。

「もしも」の時のため、せめて半径500mの人間のしている生活を把握しているか?
50日に1回くらいは自分の暮らしぶりをさらけ出す人がいるか?
血の繋がった人と家の行き来をしているか?

 わざわざ言語化しないでも昭和世代はやってきたであろう「自分以外との人間とのかかわり」が失われたのが、高度経済成長の産物なのだと考えていました。

 

  

steam-punk.hatenablog.com

 

 
 価値観の多様性、自分の生活の自由が確保されることは素晴らしいです。
しかしそのバラ色の生活の終わりがいずれ自分の体から階下に血を流すそんなミニチュアを見ました。
自分以外の人間に生活が侵食される不自由が表裏一体で同時に私を守るセーフティネットとなる。

 この写真のお葬式、とでもないですが覚えていることが新鮮なうちに書き留めておきたかったものなので、もう少しまとめて積極的に他人とのかかわりを持つことや自立と依存について今後もブログにしたいと思います。


風邪をひいた昼に

kasasora.hatenablog.com
小学生の頃学校を休んだ日を思い出しました。
我が家は3人きょうだいです。なかなか母と二人きりで独り占めということがなかったのです。
その風邪をひいて学校を休んだ日には、母も仕事の休みを取ってくれました。病院の帰りに買い物に行ってその時期に近づいていたスキー旅行に必要なものをみつくろって帰ってくるという予定でした。
隣の市で買い物を済ませた後に食事に行こうとしたのですが母はこともあろうか焼肉に連れて行ってくれました。私はお昼の焼き肉屋さんに、ランチセットの焼肉があるのだということを若干12歳で知りました。「この焼肉はひみつね」と母は言ってました。
そのときのお肉と甘いタレの味、背徳の味を覚えています。

しかし、休んだ次の日知ったのは私と母が隣の市にいたところをどうやら友人の保護者が見たらしいんですけどね。焼肉もばれていたかな。

 

田舎のひと 都会のひと

私は都会の生まれ田舎の育ちである。

今日行って来た駅前のスナックのママさんは長岡市に統合された村の出身なのだそうだ。

その地元の人々についてあれやこれや話してくださった。狭い社会でみんないろいろやてる。だいたい話題に上がるのは派手にやってるひとや迷惑をかけているようなひとなのだ。静かに暮らしてる人たちは朝晩ウワサ話に明け暮れてる。

田舎のひとというのは基本的にネチネチしてる。

地元のひとでもよそもんでも何か出る杭は打たれるようなことをするとまずは批判が

入る。陰口だったり直接面と向かって言われることもある。

田舎では女性がひと度井戸端会議を始めれば、村中の人の噂話をする。

SNSもびっくりの素早い情報網がある。だからIT系の人たちはこぞって山やら地方の方を目指すのだろうか。

 

都会のひとというのは商人気質なところがある。ケチなのだ。

たとえば市立劇場に歌手が来れば田舎ならなんだかんだと人が興味を持って寄ってくる。が都会の人は違う。その歌手を見に行ってチケット代を払って自分は何を得られるか、ちゃんと判断してるのである。

自分の損得感情で勘定しているところがあって、さらっと人を切り捨てることができる。自分の事業の宣伝で名刺を渡しても、フライヤーを配って笑顔で「行ってみるよー」なんて受け答えてくれるけどなかなか来てくれないものだ。はるばる飛行機に乗って外国お客さんが来る。都会の高い家賃の狭い部屋も伴って、彼らは平気でホテルに彼らを泊めさせる。なじみの店の外食で彼らをもてなす。

 

田舎の人というのは基本的に批判から入る。先入観が強いのだ。だけどダメな人ほど話題にのぼる。何してもダメな人でも憎めない人なら手を差し伸べてくれる。可愛さ余って憎さ百倍、オレがいないとこん人は本当ダメだ、そうぼやいて助けてくれるのだ。根はいい人なのである。

奴らは同じ地域の人であれば同じ地域に墓がある。最後を見据えているのである。もうどんな領域なのかわかったもんじゃない。

 

広大な自然の中で農業をする人々、街の中で商いをする人々。

お互い本当に人を人としてか見ていないのである。

 

 

ガールズパワー

私はフェミニストである。

 

女性に優しく子育てママを心から応援する日本語のフェミニストではない。

女性解放、女性独立を支持する方のFeministである。

 

ズバリ私は左翼で支持できない発言もあるのであるが、

小池百合子氏が都知事として活躍していることにとても誇りを感じている。

2017年衆院選で希望の塔の裏について色々と言われているが

なんだか’手放しで応援’したくなるのである。ただ女性というだけで。

 

シェアハウスに来た女子大生に教えられて腑に落ちた話がある。

その女子大生は女子校出身だと言う。文字通り女性しかいない環境なのでどんな行事でも女性が全てやる。文化祭でテントを運ぶのも重い看板を高いところに掲げるのも女子高生なのだ。

 

私は田舎の三人姉妹の真ん中に生まれた。

田舎の百姓の子供というのは本当にのら仕事(農作業)をよく手伝わされる。

子供は女の子ばかり。竹林の伐採をしたら、軍手をはめて重い竹を運んだし

裏庭の杉の木を切るのに押すのを手伝ったことなんかもある。

そんな両親は大学4年間奨学金無しで通わせてくれた。

 

だから女性の私にできない仕事はない。

ある意味そういう刷り込みを受けて育てられた。

 

女性として生きづらいのか。

 

海外に行けば男女どちらかであることにしがらみを感じずに暮らし、職にありつけるのか。

でも日本でも女性が働きやすくなるような働きかけをしなければいけないのか。

 

男性のステータスを下げて女性を優先するのか。

 

街を歩けばいくらでも女性たちが何時間でもカフェで井戸端会議をしている。

そんな女性たちについての話はまだ話題に上らないのだ。

外の世界に興味を持つ

 

あなたが生まれて初めて飛行機に乗ったのはいつのことですか。

 

今香港へと向かうLCC便の機内でこの文章を綴っています。

 

私は10歳の夏休みに、北海道の親戚に会いに言った時が初めての飛行機です。

父方の実家は千葉ですが、母方の祖父母は北海道旭川出身なので親戚たちが内地(本州のこと)にいつも遊びに来てくれていたそうです。

初めての北海道の親戚訪問は驚きと喜びばかりでした。祖父は8人祖母は7人兄弟ともあって親戚一同ですごい数になるのです。

それぞれの家に挨拶に行って地方巡業だろうかというお小遣いをもらい、家に泊めさせてもらって北海道の美味しいものをご馳走になり、札幌、富良野、美瑛などに観光に連れて行ってもらいました。

富良野の一面のラベンダー畑を見に行った日の夜に布団で目を閉じたら瞼の裏にラベンダー畑が浮かんだことを鮮明に覚えています。

あの旅行はとても楽しかったとともに

自分のルーツを知ることができた訪問だったとも言えます。

それまで顔を合わせていた親戚たちは皆関東在住でしたが、遠く離れた北海道という天気予報でしか縁のなかったような場所に自分の半分のルーツがあったことを知れたのでした。

それを感じたのが方言の違いでした。

台所で祖母の一個上の姉(顔が激似)の叔母といた時にこみ袋を渡されて「これ投げといて~」と言われ、「投げちゃダメじゃないの!」というやりとりをしたことを鮮明に覚えています。

(投げるは捨てるの意)

 

その時に初めての飛行機を経験し、2回目の飛行機は国際線でアメリカへ行きました(!)

日本から遠く離れてアメリカはウィスコンシン州姉妹都市交流の中学生として派遣された一週間の渡米が国際線デビューでした。

合併前の街との姉妹都市交流は毎年男女6名ずつ交換留学していた枠があったのですが、女子のひと枠が誰かやるか?と余って軽い気持ちで参加したのでした。

私たち千葉の中学生ももちろん英語は堪能ではないし、ウィスコンシンの中学生らも日本語はできません。学校の中も日米で様々な制度の違いがありました。

通訳はカナダ帰国の父兄の方、英語の先生、ALT3人のみです。まさにサバイバルなのですが、当時英語は好きでも嫌いでも得意でも苦手でもなかったのですが、教科書の中でしか触れられなかった英語というコンテンツがアメリカで初めて生きた英語となったのでした。

言葉も通じない文化の背景も違う中学生と同じ気持ちを共有できたりワークショップなど何かを一緒に完成させることができたその喜びが外国語・異文化の道を志すきっかけにな理ました。

この時の経験のせいで私は日本語をしゃべる時でも身振り手振りが大きくなったのでしょう。w

 

この10代前半の旅行が今の私の軌道を描く大きな要素となっているのだと感じます。

 

小学生の時に正義感が強くて自分が正しいというものさしを人に押し付けていたが故に当時KYという略語で流行った空気が読めなかった私ですが、

4歳で船橋市から田舎へ引っ越してずっとだった私に自分のいる世界だけがないという種をまいてくれた経験です。

 

前述の記事のシェアハウスの同居人らと外の世界に興味を持つことについて話したことでこれらの旅行のことを思い出したのでした。

外の世界に偏見を持たず飛び出してみることで何かを得られた若者たちが5人同じ釜の飯を食べている家です。

外の世界が自分の世界に染み出してくるような多文化共生の社会を私が賛成する理由は、衝突のストレスよりも交わった科学反応による恩恵がはるかに大きくて楽しいものだからです。

 

個性とはぶつかってナンボです。

 

数時間後私は香港でどんな科学反応に立ち会えるのでしょうか。

異文化が共存する

私は神田外語大学の卒業生である。

母校はコミュニケーションスタディーのため外国語専門学校が創った4年制のグローバル大学である。交換留学生を様々な地域から行っていり、何より学生が接する半数の教授陣は海外出身の先生方であった。
国内の大学ながら欧米各国のフランクな先生方、愛のある東南、東アジア各国の先生方にビシバシしごがれた4年間はとても楽しいものだった。課題は本当に多かった。
卒業後外資系なり海外の企業を目指す若者にとって良い経験となるのであろう。そんなグローバル大学では’異文化共存’は度々話題になった。
文化人類学にたくさん触れた講義が多くあったし「日本人、タイ人だからこういう性格だ」という先入観を持つことについて留学生とのやりとりでも盛んに話し合ったのが懐かしい。 
そのような調子なので日本生まれ日本育ちであれば自分と大した違いが無いというマクロな偏見も植えつけられたような気もしている。
教授たちの無駄とも有益とも言える小話が挟まれるので大学の座学の講義は本当に好きだった。異文化理解の授業での学生への質問を覚えているのが
「アジフライって何をかけて食べますか?」というものだ。
4割がソース派4割が醤油2割何もなしかけないやら、別の調味料だった。その時がミクロな異文化との出会いの始まりだった。
日本の文化といって柳田國男氏の民俗学を引用することもできる。しかし私が胃が感じたことは、いち家庭いち家庭それぞれの文化を持っているということである。街、道路、駅なんかの社会の空間は本当にうまくできている。どんな出自の人間もある程度は受け入れられる。彼らはそれぞれの日本に何千万とある空間の家から来ている。 
私は長岡市で同世代の中間支援組織に携わっている同年代たちと親しくなった。ロハスマガジンの「ソトコト」が発信するようなソーシャルグッドで気鋭な価値観に共感して長岡という地方都市で稀なシェアハウスという居住を始めた。
シェアハウスで時々話すことがある。ルームメイト曰く、しょっちゅう周囲の人にすごいねという言葉をもらうが、シェアハウスという完成品・集合体がすごいのではなくて、住人それぞれのバックグラウンドを持ち寄って一つの家に集まることがすごいのであるそうだ。 
先日の九州地方の大雨の被害で胸を痛める報道が連日流れている。災害時の避難所というものは本来の家というプライバシー空間を体育館などに納めて非常時を過ごすものだ。非難される人々のストレスは計り知れない。
みんなの名誉のために書くとシェアハウスで嫌なことがあってこの文を書いたのではなく、改めて多様性を感じたからである。それぞれ個人が住む地域や言語の括りを超えてまったく違ったライフスタイルを築いて来たのだとつくづく感じる日々である。
同棲する恋人同士もそうかもしれないが、毎日顔を合わせると言わなくてもわかること、unwritten rulresが増えてくるものである。そして甘えてくる。
「いちいち言葉で言わないでもそういうことはわかってほしい」 
アジフライに醤油をかける術を教えてくれた偉大な母は言った。
その人がどんな価値観を持っていようと私自身には迷惑はかからない。それに関して否定も賛同もしなくていいのだ、と。

それを聞いて思わず泣いてしまった。自分でも知らずにミクロな異文化に対して、ライフスタイルの多様性に対して偏見を抱えていたのだと知った。異文化理解というのは耳タコだったのに自分の器量の小ささを知った。母は嫁に行って姑と折り合い子育てしてきただけある。異文化共存とは口々に言ったものだが、経験者することでしか見えてこない苦労が本当に多いのだろう。 

今日はシェアハウスのみんなにアジフライを買って行ってビールのつまみにつつきたい。
みんなはどんな調味料をかけるのだろうか。