行住座臥

関東から新潟へIターンした20代女のブログ

田舎のひと 都会のひと

私は都会の生まれ田舎の育ちである。

今日行って来た駅前のスナックのママさんは長岡市に統合された村の出身なのだそうだ。

その地元の人々についてあれやこれや話してくださった。狭い社会でみんないろいろやてる。だいたい話題に上がるのは派手にやってるひとや迷惑をかけているようなひとなのだ。静かに暮らしてる人たちは朝晩ウワサ話に明け暮れてる。

田舎のひとというのは基本的にネチネチしてる。

地元のひとでもよそもんでも何か出る杭は打たれるようなことをするとまずは批判が

入る。陰口だったり直接面と向かって言われることもある。

田舎では女性がひと度井戸端会議を始めれば、村中の人の噂話をする。

SNSもびっくりの素早い情報網がある。だからIT系の人たちはこぞって山やら地方の方を目指すのだろうか。

 

都会のひとというのは商人気質なところがある。ケチなのだ。

たとえば市立劇場に歌手が来れば田舎ならなんだかんだと人が興味を持って寄ってくる。が都会の人は違う。その歌手を見に行ってチケット代を払って自分は何を得られるか、ちゃんと判断してるのである。

自分の損得感情で勘定しているところがあって、さらっと人を切り捨てることができる。自分の事業の宣伝で名刺を渡しても、フライヤーを配って笑顔で「行ってみるよー」なんて受け答えてくれるけどなかなか来てくれないものだ。はるばる飛行機に乗って外国お客さんが来る。都会の高い家賃の狭い部屋も伴って、彼らは平気でホテルに彼らを泊めさせる。なじみの店の外食で彼らをもてなす。

 

田舎の人というのは基本的に批判から入る。先入観が強いのだ。だけどダメな人ほど話題にのぼる。何してもダメな人でも憎めない人なら手を差し伸べてくれる。可愛さ余って憎さ百倍、オレがいないとこん人は本当ダメだ、そうぼやいて助けてくれるのだ。根はいい人なのである。

奴らは同じ地域の人であれば同じ地域に墓がある。最後を見据えているのである。もうどんな領域なのかわかったもんじゃない。

 

広大な自然の中で農業をする人々、街の中で商いをする人々。

お互い本当に人を人としてか見ていないのである。

 

 

ガールズパワー

私はフェミニストである。

 

女性に優しく子育てママを心から応援する日本語のフェミニストではない。

女性解放、女性独立を支持する方のFeministである。

 

ズバリ私は左翼で支持できない発言もあるのであるが、

小池百合子氏が都知事として活躍していることにとても誇りを感じている。

2017年衆院選で希望の塔の裏について色々と言われているが

なんだか’手放しで応援’したくなるのである。ただ女性というだけで。

 

シェアハウスに来た女子大生に教えられて腑に落ちた話がある。

その女子大生は女子校出身だと言う。文字通り女性しかいない環境なのでどんな行事でも女性が全てやる。文化祭でテントを運ぶのも重い看板を高いところに掲げるのも女子高生なのだ。

 

私は田舎の三人姉妹の真ん中に生まれた。

田舎の百姓の子供というのは本当にのら仕事(農作業)をよく手伝わされる。

子供は女の子ばかり。竹林の伐採をしたら、軍手をはめて重い竹を運んだし

裏庭の杉の木を切るのに押すのを手伝ったことなんかもある。

そんな両親は大学4年間奨学金無しで通わせてくれた。

 

だから女性の私にできない仕事はない。

ある意味そういう刷り込みを受けて育てられた。

 

女性として生きづらいのか。

 

海外に行けば男女どちらかであることにしがらみを感じずに暮らし、職にありつけるのか。

でも日本でも女性が働きやすくなるような働きかけをしなければいけないのか。

 

男性のステータスを下げて女性を優先するのか。

 

街を歩けばいくらでも女性たちが何時間でもカフェで井戸端会議をしている。

そんな女性たちについての話はまだ話題に上らないのだ。

外の世界に興味を持つ

 

あなたが生まれて初めて飛行機に乗ったのはいつのことですか。

 

今香港へと向かうLCC便の機内でこの文章を綴っています。

 

私は10歳の夏休みに、北海道の親戚に会いに言った時が初めての飛行機です。

父方の実家は千葉ですが、母方の祖父母は北海道旭川出身なので親戚たちが内地(本州のこと)にいつも遊びに来てくれていたそうです。

初めての北海道の親戚訪問は驚きと喜びばかりでした。祖父は8人祖母は7人兄弟ともあって親戚一同ですごい数になるのです。

それぞれの家に挨拶に行って地方巡業だろうかというお小遣いをもらい、家に泊めさせてもらって北海道の美味しいものをご馳走になり、札幌、富良野、美瑛などに観光に連れて行ってもらいました。

富良野の一面のラベンダー畑を見に行った日の夜に布団で目を閉じたら瞼の裏にラベンダー畑が浮かんだことを鮮明に覚えています。

あの旅行はとても楽しかったとともに

自分のルーツを知ることができた訪問だったとも言えます。

それまで顔を合わせていた親戚たちは皆関東在住でしたが、遠く離れた北海道という天気予報でしか縁のなかったような場所に自分の半分のルーツがあったことを知れたのでした。

それを感じたのが方言の違いでした。

台所で祖母の一個上の姉(顔が激似)の叔母といた時にこみ袋を渡されて「これ投げといて~」と言われ、「投げちゃダメじゃないの!」というやりとりをしたことを鮮明に覚えています。

(投げるは捨てるの意)

 

その時に初めての飛行機を経験し、2回目の飛行機は国際線でアメリカへ行きました(!)

日本から遠く離れてアメリカはウィスコンシン州姉妹都市交流の中学生として派遣された一週間の渡米が国際線デビューでした。

合併前の街との姉妹都市交流は毎年男女6名ずつ交換留学していた枠があったのですが、女子のひと枠が誰かやるか?と余って軽い気持ちで参加したのでした。

私たち千葉の中学生ももちろん、ウィスコンシンの中学生らも日本語はできません。学校の中も日米で様々な制度の違いがありました。

通訳はカナダ帰国の父兄の方、英語の先生、ALT3人のみです。まさにサバイバルなのですが、当時英語は好きでも嫌いでも得意でも苦手でもなかったのですが、教科書の中でしか触れられなかった英語というコンテンツがアメリカで初めて生きた英語となったのでした。

言葉も通じない文化の背景も違う中学生と同じ気持ちを共有できたりワークショップなど何かを一緒に完成させることができたその喜びが外国語・異文化の道を志すきっかけにな理ました。

この時の経験のせいで私は日本語をしゃべる時でも身振り手振りが大きくなったのでしょう。w

 

この10代前半の旅行が今の私の軌道を描く大きな要素となっているのだと感じます。

 

小学生の時に正義感が強くて自分が正しいというものさしを人に押し付けていたが故に当時KYという略語で流行った空気が読めなかった私ですが、

4歳で船橋市から田舎へ引っ越してずっとだった私に自分のいる世界だけがないという種をまいてくれた経験です。

 

前述の記事のシェアハウスの同居人らと外の世界に興味を持つことについて話したことでこれらの旅行のことを思い出したのでした。

外の世界に偏見を持たず飛び出してみることで何かを得られた若者たちが5人同じ釜の飯を食べている家です。

外の世界が自分の世界に染み出してくるような多文化共生の社会を私が賛成する理由は、衝突のストレスよりも交わった科学反応による恩恵がはるかに大きくて楽しいものだからです。

 

個性とはぶつかってナンボです。

 

数時間後私は香港でどんな科学反応に立ち会えるのでしょうか。

異文化が共存する

私は神田外語大学の卒業生である。

母校はコミュニケーションスタディーのため外国語専門学校が創った4年制のグローバル大学である。交換留学生を様々な地域から行っていり、何より学生が接する半数の教授陣は海外出身の先生方であった。
国内の大学ながら欧米各国のフランクな先生方、愛のある東南、東アジア各国の先生方にビシバシしごがれた4年間はとても楽しいものだった。課題は本当に多かった。
卒業後外資系なり海外の企業を目指す若者にとって良い経験となるのであろう。そんなグローバル大学では’異文化共存’は度々話題になった。
文化人類学にたくさん触れた講義が多くあったし「日本人、タイ人だからこういう性格だ」という先入観を持つことについて留学生とのやりとりでも盛んに話し合ったのが懐かしい。 
そのような調子なので日本生まれ日本育ちであれば自分と大した違いが無いというマクロな偏見も植えつけられたような気もしている。
教授たちの無駄とも有益とも言える小話が挟まれるので大学の座学の講義は本当に好きだった。異文化理解の授業での学生への質問を覚えているのが
「アジフライって何をかけて食べますか?」というものだ。
4割がソース派4割が醤油2割何もなしかけないやら、別の調味料だった。その時がミクロな異文化との出会いの始まりだった。
日本の文化といって柳田國男氏の民俗学を引用することもできる。しかし私が胃が感じたことは、いち家庭いち家庭それぞれの文化を持っているということである。街、道路、駅なんかの社会の空間は本当にうまくできている。どんな出自の人間もある程度は受け入れられる。彼らはそれぞれの日本に何千万とある空間の家から来ている。 
私は長岡市で同世代の中間支援組織に携わっている同年代たちと親しくなった。ロハスマガジンの「ソトコト」が発信するようなソーシャルグッドで気鋭な価値観に共感して長岡という地方都市で稀なシェアハウスという居住を始めた。
シェアハウスで時々話すことがある。ルームメイト曰く、しょっちゅう周囲の人にすごいねという言葉をもらうが、シェアハウスという完成品・集合体がすごいのではなくて、住人それぞれのバックグラウンドを持ち寄って一つの家に集まることがすごいのであるそうだ。 
先日の九州地方の大雨の被害で胸を痛める報道が連日流れている。災害時の避難所というものは本来の家というプライバシー空間を体育館などに納めて非常時を過ごすものだ。非難される人々のストレスは計り知れない。
みんなの名誉のために書くとシェアハウスで嫌なことがあってこの文を書いたのではなく、改めて多様性を感じたからである。それぞれ個人が住む地域や言語の括りを超えてまったく違ったライフスタイルを築いて来たのだとつくづく感じる日々である。
同棲する恋人同士もそうかもしれないが、毎日顔を合わせると言わなくてもわかること、unwritten rulresが増えてくるものである。そして甘えてくる。
「いちいち言葉で言わないでもそういうことはわかってほしい」 
アジフライに醤油をかける術を教えてくれた偉大な母は言った。
その人がどんな価値観を持っていようと私自身には迷惑はかからない。それに関して否定も賛同もしなくていいのだ、と。

それを聞いて思わず泣いてしまった。自分でも知らずにミクロな異文化に対して、ライフスタイルの多様性に対して偏見を抱えていたのだと知った。異文化理解というのは耳タコだったのに自分の器量の小ささを知った。母は嫁に行って姑と折り合い子育てしてきただけある。異文化共存とは口々に言ったものだが、経験者することでしか見えてこない苦労が本当に多いのだろう。 

今日はシェアハウスのみんなにアジフライを買って行ってビールのつまみにつつきたい。
みんなはどんな調味料をかけるのだろうか。

東京と新潟 人の繋がり方

 新潟へIターン生活でGWは9連休が与えられたので、関東の実家に帰省しました。帰省と言っても人口20万都市からまた南房総という地方郊外→関東の田舎への帰省です。東京駅を降り、運悪く京葉線の通勤快速に乗ってしまって消耗されている会社通いの方々を横目になぜあちら側にいないか小一時間考える時間を設けさせられてしまいました。

 一言で言えば、選ぶことに疲れてしまったことです。

 東京は多様性に満ち溢れています。同時にたくさんのモノが量産され、消費されています。そんなところでの経験は進学先でも就職先でも競争が激しく選択肢が過度に用意されていました。逆に没個性だと何度も考えたのでした。しかし、様々な場所で様々な人に出会うけれどとっかかりがないといつも思っていました。

 いつでも誰でもなんでもできるのが都市の長所だけど短所でもあって、私の生活圏ではいて欲しいときいて欲しい場所にいて欲しい人が偶発的にいなかったなと思い出します。

つまり何が言いたいかというと都市部で自分により一番近いコミュニティーを探してその中でニッチなことをするのも良い。でも地方という個性を潰されかねない土地であっても、ある程度同じジャンルのことをしたい人とそれなりに組んで豊富な資源を生かして何かを始めることもまた良案だと私は考えたのです。

 自分のビジョンに一番近い人たちの中にいることは、安心だし目標への一番の近道かもしれません。しかし同じような温度の人間が情熱を持って集まっても所詮人間の集団。「誰かが私や俺の代わりにやってくれるだろう」そういうフリーライダーが出てしまうということに学生時代幻滅してしまいました。

 同じ感性の人でも違うビジョンを持った人の集まる今のコミュニティーでは例えば「市町村合併地域で畑を持ちたい!」などというのは自分しかいないため、自分一人で舵取りをしなければなりません。けれど似た感性を持っているため「なぜそれをやりたいか」を事業計画など出さなくてもこの人はこう考えてこれがやりたいということをお互い理解できます。そうしてコミュニティーの中の人のそれぞれの得意分野で協力してくれます。違うコミュニティに入っていける人、人脈が多い人、集客が得意な人、写真が撮れる、文章が書ける、楽曲が作れるなどなど割と頭数合わせると才能が集まります。そこからはもう可能性しか感じないようなことが地方の魅力となっています。

Not Walking' away Emily Hearn 和訳 - 離れたりしない エミリー・ハーン

Heaven knows you’re like water I’m like fire
神さまはわかってる 私とあなたは水と油
You put me out, and I’ll put up a fight
あなたにイライラさせられて喧嘩するのをこらえてる
But I know where you’ve been, what you’re going through today
けどあなたの今までをよくわかってる 今日やり過ごせられるのもわかってる
And I swear on my life I’m not walkin’ away
だからあなたから離れたりはしない

/Chorus/

Well I can’t make up my mind
なんだか決心できない
You’re one thing at a time
あなたはずっとたった一人
I’m prone to run
飛び込むのは簡単
You keep me in the lines
あなたあの手この手でコントロールしたりする
But I know we can take
けど私たちは大丈夫
Every stumble every sway
つまづきも揺さぶりだって
I swear on my life I’m not walkin’ away
離れたりしないいて誓うよ

That when I say go I’m hoping that you’ll stay
出てってって言っても そうしないことを望んでる
And I promise you that I won’t walk away
私は離れたりしないって約束する
X2
/

And even though you make me crazy sometimes
時には私を怒らせても
Without a doubt I’m blessed to call you mine
祝福されるのを疑ったりしない
And I know what I’d say about these stumbles and these sways
小言も言いたくなるだろうけど
They made me realize I’m not walkin’ away
離れたりしないと気付かされるの
/Chorus/

Oh, you’re a pain to be around
ああ あなたは目の上のタンコブで
Oh, but you’re my solid ground
しっかり固まった地面のようで
Oh, you’re the only one who knows
唯一無二の存在
That when I say go I’m hoping that you’ll stay
出てってって言ってもそうしないことを望んでる
Oh, I wouldn’t change you at all
そのままのあなたでいてほしいと思う
Oh, cause even though we’ve both got our faults
お互いの欠点をわかっていたとしても
You’re the only one I want
ほしいのはあなただけ
And I’m sticking by your side, whatever comes
何が来ようともあなたの側にくっついてる
And I promise you that I won’t walk away
一緒にいるって約束する
And I promise you that I won’t walk away
あなたから離れたりしない

移住者は得をしている

移住者というのは得している

欧州に移住しているシリア難民や日本国内の紛争などによる難民を非難する話ではなく、日本の地方へ移住する人々の得している話です。新潟へ移住して感じることをまとめてみました。

 

 

 マスメディアを始めとするメディアで地方郊外への移住が多く取り上げられる時代。インターネットの普及でデバイスひとつでどこでも仕事ができ、購買ができる時代。しかし何よりも2011年3月の東日本大震災が発生、2014年第2次安倍内閣の掲げた’地方創生’で首都圏、大都市以外が陽の目を見る時代がやって来ている。少子高齢化の向かい風を行く若者たちが生まれていく。私もその一人に含まれるのだろう。

 私の出身は千葉県は房総半島のJR線すら通らないような’田舎’である。関東を出ると千葉県にも田舎があるのだと驚かれることも多い。ディズニーランドだけが千葉県ではないのだ。11年前合併したいすみ市。3つの町のうちの出身町の公共交通機関は第3セクターの私鉄、市内巡回バス、JR駅へのシャトルバス。車社会である。中学校が1つ小学校が3つ。取り立てた企業があるわけでもない、チェーン店の飲食や服飾店はなくかろうじてコンビニが3件。市の現在の世帯人口は以下の通り(いすみ市市政情報より引用)
世帯数 16,887戸
人口  394,55人(2015年よりー31人)
内 女性 20,091人
  男性 19,364人
 しかしこの市にとどまり地域おこしに一役買っているのではない。私が選んだのは新潟県の人口20万都市、長岡市である。Iターン就職であるが総務省の地域おこし協力隊などの制度の利用ではなく一般企業への新卒就職だ。
地域振興の情熱があるのなら自分の生まれ故郷こそ町おこしするべきでは?振興する伸びしろのある市なのでは?と疑問に思うかもしれない。しかし理由は幾つでもあるので列挙したい。
・移住者がもともと多い
いすみ市は外房つまり海に面した地域がある。旧大原町そして旧岬町側は一宮町にも近い。サーフィンで首都圏から訪れたり別荘を持つ有名人、ついにはサーフィン移住者がいる。アメリカ西海岸の娯楽が田舎に恩恵をもたらした。
・東京に遠過ぎず、近過ぎず
JR大原駅から東京駅まで有料特急列車(¥2,590)は1時間18分。各駅停車朝夕の通勤快速列車で1時間40分程度である。車の場合約2時間。東京へ週末などにふらっと行ける距離なのである。
・地域で悪目立ちしそうである
ここに来てやっと話の本質である。なぜ地元の町おこしをしないのか。ムラ社会での体裁を考えたためだ。地元の少子高齢化を解決したい。もっと他の地域ないし海外に魅力を発信したいと思いたつ。けれど町おこしというものはうちの町では見えざる手的に行われるものというのが私の考えである。誰かが抜きん出て先導するというのは皆横並びで生きる社会と相反する。マイルドヤンキーの印象を受ける。ならば役場に就職するんだなというところだろう。そんな共同体だから外からの移住者への視線は冷たいのである。地域住民にとって、あっちの人たちとうちらという見え方の対立構造だ。
 新潟県長岡市に越して来て1年半が過ぎた。
移住者の私には我が家族の〜がナントカという活動をしている。町の消防団に入らない。どこどこの奴と結婚して、などという世間体がない。しょっちゅう夜遊びして一人暮らしのアパートに帰る。特権を利用して2年目の今年は様々な場所に赴いてみた。市役所を中心とするエリアで長岡市意識高い系老若男女が活動している。私と同じ県外出身者もいるが、結婚して嫁入り婿入りした人々、新潟の大学を出て長岡で働くそして人農業事業の地域おこし協力隊である。10年前5市町村が合併してからそれぞれの地域から飛び出したり旧地域に還元したりして市民活動が行われているようだ。


合併し人口20万の都市といえど、狭い人間関係の年だ。行動力、発言力あるいは財力なのだろうか?顔が広い町の代表者のようなUターン者をハブとして長岡市意識高い系コミュニティーが形成されている。中心エリアの市民団体などのイベントに参加して初めて知り合った人には必ずフェイスブック上で共通の知り合いにあげられる人が10人はいる。意識高い系市民のコンプリートでもできそうだ。けれど何よりもありがたいのはそういったUターンの人々は移住者に優しい。ヨソ者扱いがない。県外のコミュニティーに入っていった経験がそれぞれあるのだろう。町の代表者のUターン者たちの顔の広さを通じたり自分の足で稼いだり、知人が増えた。ディスるけれど灯台下暗しなことをUターンの人たちと話すこともある。これも移住者の特権な気がする。安心できるコミュニティーに混ざることができて、SNS上や口コミの長岡のいろいろな情報がどんどん入ってくる。所詮私はヨソ者なので、長岡の市の事情について第3者目線でズケズケ言う。残り3ヶ月いくら単身者のための不動産が豊富とはいえ、地域住民の中に入っていって’うちら’側に斬り込む移住2年目が過ぎそうだ。今後とも私と同じUターンやJターン者と長岡の人を巻き込んだコミュニティーができあがる3年目になりそうである。