異文化が共存する

私は神田外語大学の卒業生である。

 


母校はコミュニケーションスタディーのため外国語専門学校が創った4年制のグローバル大学である。交換留学生を様々な地域から行っていり、何より学生が接する半数の教授陣は海外出身の先生方であった。

国内の大学ながら欧米各国のフランクな先生方、愛のある東南、東アジア各国の先生方にビシバシしごがれた4年間はとても楽しいものだった。課題は本当に多かった。

 


卒業後外資系なり海外の企業を目指す若者にとって良い経験となるのであろう。そんなグローバル大学では’異文化共存’は度々話題になった。

文化人類学の講義が多くあったし「日本人、タイ人だからこういう性格だ」という先入観を持つことについて留学生とのやりとりでも盛んに話し合ったのが懐かしい。 

 


そのような調子なので日本生まれ日本育ちであれば自分と大した違いが無いというマクロな偏見も植えつけられたような気もしている。

教授たちの無駄とも有益とも言える小話が挟まれるので大学の座学の講義は本当に好きだった。異文化理解の授業での学生への質問を覚えているのが

 

 

 

 


「アジフライって何をかけて食べますか?」というものだ。

 

 

 

4割がソース派4割が醤油2割何もなしかけないやら、別の調味料だった。その時がミクロな異文化との出会いの始まりだった。

日本の文化といって柳田國男氏の民俗学を引用することもできる。しかし私が胃が感じたことは、いち家庭いち家庭それぞれの文化を持っているということである。街、道路、駅なんかの社会の空間は本当にうまくできている。どんな出自の人間もある程度は受け入れられる。彼らはそれぞれの日本に何千万とある空間の家から来ている。 

 

 

 

 


私は長岡市で同世代の中間支援組織に携わっている同年代たちと親しくなった。ロハスマガジンの「ソトコト」が発信するようなソーシャルグッドで気鋭な価値観に共感して長岡という地方都市で稀なシェアハウスという居住を始めた。

 


シェアハウスで時々話すことがある。ルームメイト曰く、しょっちゅう周囲の人にすごいねという言葉をもらうが、シェアハウスという完成品・集合体がすごいのではなくて、住人それぞれのバックグラウンドを持ち寄って一つの家に集まることがすごいのであるそうだ。 

 

 

 

先日の九州地方の大雨の被害で胸を痛める報道が連日流れている。災害時の避難所というものは本来の家というプライバシー空間を体育館などに納めて非常時を過ごすものだ。非難される人々のストレスは計り知れない。

みんなの名誉のために書くとシェアハウスで嫌なことがあってこの文を書いたのではなく、改めて多様性を感じたからである。それぞれ個人が住む地域や言語の括りを超えてまったく違ったライフスタイルを築いて来たのだとつくづく感じる日々である。

 

 

 

 


同棲する恋人同士もそうかもしれないが、毎日顔を合わせると言わなくてもわかること、unwritten rulresが増えてくるものである。そして甘えてくる。

「いちいち言葉で言わないでもそういうことはわかってほしい」 

 


アジフライに醤油をかける術を教えてくれた偉大な母は言った。

 


その人がどんな価値観を持っていようと私自身には迷惑はかからない。それに関して否定も賛同もしなくていいのだ、と。

それを聞いて思わず泣いてしまった。自分でも知らずにミクロな異文化に対して、ライフスタイルの多様性に対して偏見を抱えていたのだと知った。異文化理解というのは耳タコだったのに自分の器量の小ささを知った。母は嫁に行って姑と折り合い子育てしてきただけある。異文化共存とは口々に言ったものだが、経験者することでしか見えてこない苦労が本当に多いのだろう。 

 


今日はシェアハウスのみんなにアジフライを買って行ってビールのつまみにつつきたい。

みんなはどんな調味料をかけるのだろうか。