外の世界に興味を持つ

 

あなたが生まれて初めて飛行機に乗ったのはいつのことですか。

 

今香港へと向かうLCC便の機内でこの文章を綴っています。

 

私は10歳の夏休みに、北海道の親戚に会いに言った時が初めての飛行機です。

父方の実家は千葉ですが、母方の祖父母は北海道旭川出身なので親戚たちが内地(本州のこと)にいつも遊びに来てくれていたそうです。

初めての北海道の親戚訪問は驚きと喜びばかりでした。祖父は8人祖母は7人兄弟ともあって親戚一同ですごい数になるのです。

それぞれの家に挨拶に行って地方巡業だろうかというお小遣いをもらい、家に泊めさせてもらって北海道の美味しいものをご馳走になり、札幌、富良野、美瑛などに観光に連れて行ってもらいました。

富良野の一面のラベンダー畑を見に行った日の夜に布団で目を閉じたら瞼の裏にラベンダー畑が浮かんだことを鮮明に覚えています。

あの旅行はとても楽しかったとともに

自分のルーツを知ることができた訪問だったとも言えます。

それまで顔を合わせていた親戚たちは皆関東在住でしたが、遠く離れた北海道という天気予報でしか縁のなかったような場所に自分の半分のルーツがあったことを知れたのでした。

それを感じたのが方言の違いでした。

台所で祖母の一個上の姉(顔が激似)の叔母といた時にごみ袋を渡されて「これ投げといて~」と言われ、「投げちゃダメじゃないの!」というやりとりをしたことを鮮明に覚えています。

(投げるは捨てるの意)

 

その時に初めての飛行機を経験し、2回目の飛行機は国際線でアメリカへ行きました(!)

日本から遠く離れてアメリカはウィスコンシン州姉妹都市交流の中学生として派遣された一週間の渡米が国際線デビューでした。

合併前の街との姉妹都市交流は毎年男女6名ずつ交換留学していた枠があったのですが、女子のひと枠が誰かやるか?と余って軽い気持ちで参加したのでした。

私たち千葉の中学生ももちろん英語は堪能ではないし、ウィスコンシンの中学生らも日本語はできません。学校の中も日米で様々な制度の違いがありました。

通訳はカナダ帰国の父兄の方、英語の先生、ALT3人のみです。まさにサバイバルなのですが、当時英語は好きでも嫌いでも得意でも苦手でもなかったのですが、教科書の中でしか触れられなかった英語というコンテンツがアメリカで初めて生きた英語となったのでした。

言葉も通じない文化の背景も違う中学生と同じ気持ちを共有できたりワークショップなど何かを一緒に完成させることができたその喜びが外国語・異文化の道を志すきっかけにな理ました。

この時の経験のせいで私は日本語をしゃべる時でも身振り手振りが大きくなったのでしょう。

 

この10代前半の旅行が今の私の軌道を描く大きな要素となっているのだと感じます。

 

小学生の時に正義感が強くて自分が正しいというものさしを人に押し付けていたが故に当時KYという略語で流行った空気が読めなかった私ですが、

4歳で船橋市から田舎へ引っ越してずっとだった私に自分のいる世界だけがないという種をまいてくれた経験です。

 

前述の記事のシェアハウスの同居人らと外の世界に興味を持つことについて話したことでこれらの旅行のことを思い出したのでした。

外の世界に偏見を持たず飛び出してみることで何かを得られた若者たちが5人同じ釜の飯を食べている家です。

外の世界が自分の世界に染み出してくるような多文化共生の社会を私が賛成する理由は、衝突のストレスよりも交わった科学反応による恩恵がはるかに大きくて楽しいものだからです。

 

個性とはぶつかってナンボです。

 

数時間後私は香港でどんな科学反応に立ち会えるのでしょうか。